「これ、面白いから読んでみて」。恥ずかしいくらいに捻りのない文句とともに、活字離れしていた友人に一冊の小説を押し付け、見事にミステリー沼に引きずり込んだ。夕木春央『方舟』である。翌週、開口一番「方舟、ヤバいって」と言われたときには、ニヤニヤ×10してしまった。友人と語り合った時間も含めて思い入れ深い作品の著者が、ふたたび旧約聖書を想起させるタイトルの作品『十戒』を出したというのだから、読まないわけにはいかない。
浪人生の里英は、父とともに周囲1キロに満たない小さな無人島・枝内島に上陸した。交通事故で亡くなった伯父が所有していた枝内島をリゾート地として活用するために、開発会社や工務店の担当者などとともに視察に訪れたのだ。(里英は受験勉強の気晴らしとして父に同行しただけだったが)
しかし里英を含めて男女九人、一泊二日の旅は、あっという間に頓挫する。しばらく誰も足を踏み入れていないはずの島内には何者かの生活の跡があり、小屋からは爆弾と思しき不審物が見つかった。さらに翌朝、視察団のひとり、不動産会社の男が殺されてしまう。
なるほど「嵐の孤島もの」だろうか。「あぁ、嵐で島から出られなくなって、電話も通じなくて助けを呼べないやつね」と思った方もいるだろう。しかし本作は一味違う。上陸前に嵐は去った(出港できる!)。通信技術の革新によってスマホの電波も問題ない(助けはいつでも呼べる!)。が、一行は自ら本島に連絡して、迎えを三日後に延期してもらった。
なぜなら彼らは、犯人から「十戒」を授けられていたからである。「三日の間、島の外に出てはならない」で始まった十の戒律。最後に記された戒律は、里英たちだけでなく、読者の行動すらも制限するアンチミステリー的なルールだった。
十 殺人犯が誰かを知ろうとしてはならない。その正体を明かそうとしてはならない。殺人犯の告発をしてはならない。
夕木春央『十戒』(講談社)
クローズド・サークルの作品といえば、空間や時間、登場人物が限られたなかで、語り手がホームズ役、あるいはワトスン役となって事件解決や脱出を図るのが基本。一方で本作では、語り手となる人物は「犯人を知ろうとしてはいけない」のであり、ホームズにもワトスンにもなれない。「殺人犯の告発をしてはならない」のであれば、いわゆる「解決編」も描けないのではないか。これは身動きが取れない……。
では、物語はどのように進み、幕を閉じるのか。それはご自身の目で確かめていただくとして。
ちなみに旧約聖書に登場する「モーセの十戒」は、モーセが考えたものだと誤解しやすいが、実際にはモーセは神から授かった戒律を石版に記したらしい。
かい‐りつ【戒律】
一般に、信者が信仰生活において守るべき規律・規則。
一方で枝内島の十戒は、人間によって作られたものではあるが、爆弾のある離島に閉じ込められた状況下で犯人が記した十戒は、神によるそれと近しい。犯人という神が創り出した世界で、里英たちはどのように生きるのか。犯人を見つけることが許されているのは、その世界の外にいるあなただけである。